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福岡高等裁判所 昭和56年(ツ)20号 判決 1983年12月28日

上告人 岩田重蔵

右訴訟代理人弁護士 井手豊継

同 諫山博

同 小泉幸雄

同 田中久敏

同 椛島敏雅

同 宮原貞喜

同 林健一郎

同 小島肇

同 内田省司

同 津田聰夫

同 林田賢一

被上告人高木正七訴訟承継人兼被上告人 髙木正弘

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

本件上告理由は別紙記載のとおりである。

上告理由第一点

所論は、原判決には民法一条三項(権利濫用)の解釈適用の誤りがあるというのである。

ところで、原審が適法に確定した事実は、要するに次のとおりである。承継前の被上告人高木正七は、昭和四年三月、訴外岩田美之吉に対し、高木正七所有の原判決別紙目録(一)記載の土地(従前地)を、賃貸目的を農地耕作とし、かつ、その賃料を一箇年当り玄米一八〇キログラムとして、これを毎年一月末日限り前年分を高木正七方に持参して支払う旨の約定で貸し渡した(本件賃貸借契約)が、その後の昭和五年頃、岩田美之吉が死亡し、上告人が相続により岩田美之吉の一切の権利を承継したので、以後、上告人が右土地の賃借人となったこと、原判決別紙目録(一)記載の土地は、昭和四八年六日一七日、福岡都市計画博多駅地区土地区画整理事業(本件土地区画整理事業)のため、土地区画整理法により原判決別紙目録(二)及び(三)記載の土地(本件土地)に換地処分されたこと、上告人は、本件土地区画整理事業の第一期工事が始まる昭和三五年四、五月頃まで、耕作物の肥培管理の実態がどうであったかはともかく、一応は従前地の占有、支配をしていたが、従前地が福岡市の施行する同事業の対象区域とされたという止むを得ない事情に基づき、その頃その占有を解いたこと、なお、その仮換地先の指定がなされたのは昭和三八年一二月九日であること、昭和三三年頃以降本件土地を含む博多駅付近一帯を対象に行われた本件土地区画整理事業は、同年三月七日に福岡県知事の認可を受けて、同月一一日に同県によって告示されたが、その目的は、同地区にある博多駅の移転、拡張を行い、かつ、福岡市の中心駅である同駅にふさわしい近代都市としての機能を備えた市街地を造成しようというもので、その対象となる土地については、たとえ農地の現況を示すものが残っていたとしても換地後遠からずその農地性が失われるであろうことを予想し、むしろそれを期待していたものであることが明らかであること、右博多駅周辺の土地、ことに本件土地の所在する博多駅東一丁目の土地が右区画整理の結果今や全く市街地化していて、過去数年間にわたる公示価格や基準地価格でも、福岡市内で五指に入る地価の商業地となっていること、本件土地付近を始め博多駅周辺一帯では、上告人が経営するホテルの建物をも含め、多くの商業ビルが林立するに至っていること、本件土地は、およそ耕地の目的に供するには、全く不適当な環境に位置していること、本件土地については現在すでにアスファルト舗装が施されているものの、少くとも昭和四六年四月二六日以降被上告人側の申請による立入禁止の仮処分が執行されるまでの間、上告人が本件土地にブルドーザーを入れて耕作を開始し、ねぶか等を植えていたことがあること、本件土地にアスファルト舗装が施されているとはいえ、物理的な観点のみからすれば、これを掘り起こして農地(畑)化し、野菜類を栽培して耕作することもあながち不可能ということはできないであろうが、そのためには、相当高額の投下資本が必要であるのに対し、それによって得られる収益は、これを周辺の土地同様建物用地その他の商業地域としての用途に供した場合のそれに比して、取るに足らないことが明瞭であり、本件土地区画整理事業の前記目的に背馳するばかりでなく、土地利用方法自体としても著しく合理性を欠くこと、上告人は、長い間福岡市の市議会議員を始めとする数多くの公職等に就いてきているだけでなく、現在では本件土地の近辺に建設した建物(商業ビル)を利用してホテル業を営み、それによって相当高額の収入をあげていて、農業を生活の基盤とするものではなく、現に七五歳を超えている高令であることも加わって、かつて農業に携わってきた経歴のある上告人の主観的な感情面はさておき、客観的にはむしろ農業に従事することが因難な状況にあり、また、上告人の子女等の家族においても従前長く農業を離れた生活を送ってきていること、上告人は、昭和四六年四月二六日本件土地に高木正七が設けていた板囲いを取り壊し、ブルドーザーで土を掘り起こして野菜苗の植え付けをするなどして、同人の占有を奪ったので、同人において裁判所の仮処分決定を得て上告人の占有を排除したうえ、右仮処分の本案訴訟として本件訴えを提起したものであること。

そして、以上の事実関係のもとでは、本件土地区画整理事業施行者の処分により本件土地が農地であった従前地の換地とされたことに相応し、かつ、その限度でその農地性を問題とする余地がなくはないにしても、右換地処分がなされたのは、あくまでも博多駅を中心とする高度の近代都市機能を具備する市街地造成を目的とする本件土地区画整理事業の一環としてであり、同事業施行者自身、右換地後近い将来において同事業対象土地が農地としての現況を喪失することを予測し期待さえしていたところ、同事業の施行によりその対象地域内にある本件土地及びその周辺土地に都市化という方向で急激、かつ、画期的な客観的事情の変化が生じ、その傾向がひき続いたことにより、(物理的観点から不可能な状態かどうかは別論として)社会的経済的見地よりして、本件土地を農地として維持することが現実に著しく不適当又は困難化したという意味で、その肥培管理の目的である性格は著しく損われ、すでに本件土地が店舗用地あるいは住宅用地に転化したか、これらに近い現状にあり、これに加え、上告人が現在本件土地近辺のホテル業者として相当高額の収入をあげこれを生活の基盤とするほか高令でもあって、その家族等のことを考慮に入れても、客観的に農業従事が困難な状況にあり、したがって、約五〇年前、右と全く異なる状況のもとに農業生産経営のための農地耕作を目的とし、当時は本格的農業従事者であった上告人をその耕作者とし、同人との間に締結された本件賃貸借契約は、所期された右の賃貸借目的を殆んど喪失するに至ったものとみるほかはないから、右の賃貸借に基づく耕作目的の賃借権を理由(その行使の効果)として本件土地の明渡しを拒むことも、いわゆる権利の濫用に該当し許されないものというべきである。右と同趣旨の原審の判断は、これを是認することができ、原判決には所論の違法はない。論旨は採用することができない。

上告理由第二点

所論は、原判決には上告人の賃借権行使が権利の濫用であるかどうかを判定するに重要な諸論点を無視した審理不尽、判断遺脱、理由不備があるというのである。

ところで、原審は、上告人が五〇年来の賃借権利者であること、本件土地が耕作の目的に供するのが著しく不相当な現況を呈するに至ったのは、本件土地区画整理事業の目的が近代都市機能を具備した市街地(商業地域)の造成にあるものとされ、現にその目的が実現されたためであって、直接には被上告人側の仮処分決定の申請及びその執行(その理不尽や否やは別として)により招来されたものとはいえないこと、上告人が本件土地区画整理事業のため止むを得ず占有を解くに至った従前地が農地であったこと、同事業の施行者である福岡市当局が、本件土地を右の従前地に対する換地とした一方で、同事業の本来的な目的を推進したために耕作不相当に現況化したこと等の事実、及び上告人が本件従前地の賃借権者であり、かつ、長い間福岡市の市会議員を始めとする数多くの公職等に就いてきているだけでなく、現在では本件土地の近辺に建設した建物(商業ビル)を利用してホテル業を営み、これによって相当高額の収入をあげている者であることなど上告人が本件区画整理事業に相当程度関係したことを推測させる事実、並びに、その他前示事実関係を審理して適法に確定、判示したうえで、上告人の本件賃借権行使が権利の濫用である旨の判断をしているのであって、その過程は、これを是認することができ、原判決には所論の違法はない。論旨は採用することができない。

上告理由第三点

所論は、本件土地が農地でないと主張する被上告人の信義則違反についての審理不尽、判断遺脱、理由不備をいうのである。

ところで、およそ、仮に本件賃貸借契約による賃貸人としての被上告人側に本件土地が農地性を失うについて諸々の信義則違反の行為があった場合、これとの相互関連において、被上告人が本件土地が農地でないと主張すること自体も信義則に反し許されないとされることのあり得ることは、勿論であるが、これを本件についてみれば、原審は、本件土地が耕作の目的に供するのが著しく不相当な現況を呈するに至った直接的、かつ、客観的諸事情についての前示事実関係を適法に確定したうえ、そのもとで、被上告人側の仮処分決定の申請及びその執行に関わる諸行動は、その理不尽か否かを問うまでもなく、本件土地が農地性を失うについて直接的なものではないとし、上告人の所論の点に関する主張は採用することができないものと判断しているのであって、その過程は、これを是認することができ、原判決には所論の違法はない。論旨は採用することができない。

上告理由第四点

所論は、本件土地の賃貸借目的喪失についての審理不尽、理由不備をいうのである。

ところで、農地の耕作による栽培目的物やいわゆる農業従事者の実態が多種多様であり、土地の肥培管理の目的である性格にもその具有程度の問題があり得ることは、当然であるが、これを本件についてみれば、原審は、上告人の本件賃借権の行使が権利の濫用であるかどうかを判定する前提として必要な範囲で前示事実関係を適法に確定したうえ、そのもとで本件土地につき所論賃貸借目的喪失の判断をしているのであって、その過程は、これを是認することができ、原判決には所論の違法はない。論旨は採用することができない。

上告理由第五点

所論は、上告人が被上告人に対して農耕を目的とする賃借権を有することを認めながら、上告人がこの権利を行使することを禁止した原判決は、財産権を保障した憲法二九条に違反するというのである。

ところで、原審は、前示事実関係を適法に確定したうえ、すでに賃貸借目的を喪失した本件賃貸借契約に基づく賃借権を理由として上告人が本件土地の明渡しを拒むことが権利の濫用に該当し許されないとの判断をしたものであるところ、およそ、財産権についても権利の濫用は許されない(憲法一二条、民法一条三項)という合理的内在的制約があるのは勿論であるし、本件のような個別的な財産権関係についての具体的状況下における権利濫用の判断が、制度的に財産権の保障を定めている憲法二九条に直ちに違反するものでないことは明らかであって、原判決には所論の違法はない。論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 美山和義 裁判官 谷水央 江口寛志)

<以下省略>

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